ソフトボール部女子部4年 CYT

「一球ソフトボール」といえば「一球入魂」と連想されることもあるだろう。しかし二者を相関するものとして見るのに対して私は疑問を抱いている。

「一球ソフトボール」は「ベースボール型スポーツ」を楽しむ新たな発想であり、「間」を最小限にさせて常に躍動感と緊張感をもたらしてよりゲームの面白さをわかりやすくさせる。選手にとっていつもより増した緊張感は「一球の大切さ」がわかりやすくなるのであろうが、まず「緊張している」ことは「大事にしている」こととは全くの別物だと思っているし、その一球を大事にしたいからこそ逆に緊張感を解くほうが正解であるときもあると信じる。私は恐らくチームの誰よりもあがり症であって、ノックでうまくできていたことはいざゲーム形式になるとあまりにも緊張しすぎてできなくなってしまう。そこで私にとっての「緊張感」というのは「その一球を大事にしよう」とする気持ちそのものでも、そのような気持ちを高められるものでもないのである。ゲーム終盤でエラーを一つしてしまって頭を叩いて、悔やんで泣いていた自分がいたが、それこそ自分にとって一球を大切にしたからこそ(少し悲観的だが)出てくる感情だと思っている。しかしそれは「一球ソフトボール」のみならず「普通の」ソフトボールのゲームや練習さえしている時もその思いは同然である。

「一球入魂」という気持ちをもたらせるのには、行っていること(ここではソフトボールになる)に対する愛情を持つことは欠かせないのである。「一球ソフトボール」は一つの方法ではあるが「最適な方法」と言い難い。人によってより刺激を味わえる楽しみにもなれば、あまりにも頻繁に体を動かすことに「だるい」、「しんどい」と思わせるものにもなりうるだろう。一つの「結果」もしくは「目標」で方法を決めるよりも、それぞれ異なる「心」に対してアプローチをするほうが「最適法」が生み出されるわけである。「最適法」から「一球に対する愛情」が育てられたら、「一球ソフトボール」であっても、「普通の」競技ソフトボールでも「その一球が大切」との気持ちは方法に関わらず変わらないものである。

「一球入魂」をさておき、「一球ソフトボール」は参加者全員の主動性を確保できるため(サッカーやバスケットボールのようになかなかボールに触れず主動的プレーすることができない人もいることを考えて)学校スポーツにぜひ取り入れてみてほしいところである。未経験者にとってより多様な動きを体験させるのにはポジションの交代を活発的に行うことがいいかもしれない。